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甲子園歴史館にゆかりの品寄贈 “球児の母”尼宝館元女将(産経新聞)

 ■思い出に残る魚津−徳島商戦

 選抜高校野球の開幕を間近に控えた甲子園球場(兵庫県西宮市)に14日、新たにオープンする「甲子園歴史館」。80年以上に及ぶ球場の歴史を彩った思い出の品々が展示され、高校野球の名勝負のゆかりの品々も並ぶ。展示品には、甲子園でプレーした選手だけでなく、彼らを支えた人たちの思い出も詰まっている。

 同県尼崎市内で半世紀以上、高校球児を受け入れてきた旅館「尼宝館(にほうかん)」は、昨年10月に閉館となったが、阪神電鉄の呼びかけに応じて昭和33年夏の魚津(富山)の選手の寄せ書きと平成8年夏に優勝した松山商(愛媛)の絵皿を寄贈した。「家で保管していても劣化してしまう。歴史館ができてよかった」と女将(おかみ)の田中美佐子さん(71)は感慨に浸っている。

 昭和33年、尼宝館が初めて受け入れた魚津は準々決勝で徳島商と対戦し、延長18回引き分けの死闘の末、再試合で敗れた。魚津・村椿輝雄と徳島商・板東英二両投手の高校球史に残る投手戦。初めての高校球児に戸惑いもあった田中さんだが悔し涙を流しながらも寄せ書きで健闘をたたえ合う姿に胸を打たれ「試合の結果はどうであれ、とにかく元気な体のまま帰ってもらうことが仕事」と自らに言い聞かせるようになった。

 昭和63年からは愛媛県勢の定宿となり、平成8年の松山商では優勝も経験した。だが、同じ松山商でも強く記憶に残っているのは、5年後の13年夏、準決勝で敗退した生徒だという。「準々決勝が終わって午後8時半に帰ってきて、翌日の第1試合で負けてしまった。疲れがとれないまま…。それが心残りで」

 最後の営業日となった昨年10月31日には平成8年の松山商の選手の一人が訪れ、再会を懐かしんだ。かつて世話をした球児の中には、年末を迎えるたびに北海道から鮭を送ってくれる者もいるという。近年はホテル宿泊する学校がほとんどだが、旅館ならではの人と人とのつながりが、思い出を色濃くしている。

 「振り返ったら、一番幸せな人生だったと思う。近くに甲子園があったおかげです」。甲子園球場は2年半にわたるリニューアル工事で、すっかり様変わりしたが、球児たちとの思い出は、色あせることはない。

 

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